沿革1


この沿革1は、カトリック古川教会の黎明期から昭和期についてまとめたものです。

黎明期

 記録によると、1880年、パリ外国宣教会のプロトラン神父より古川地区の住民13名が受洗、以降マレシャル神父から16名が受洗している。
 当時は、仙台から盛岡まで宣教師は徒歩で宣教司牧を行っており、中継地の古川で一泊し、その日は信者が集まり、共にミサをささげていた。
 

昭和期

1944年(昭和19年)8月
深沢豊治師、仙台元寺小路教会より古川市荒谷(当時荒谷村)を訪問病者の司牧。
1945年(昭和20年)1月
深沢豊治師、元寺小路教会より加美郡中新田町の大久保家を訪れ葬儀を行う。
1949年(昭和24年)
築館教会創設に伴い、大崎地域の司牧の任は築館教会の所轄となる。
1950年(昭和25年)1月
故小野師(築館教会主任)古川市の信徒司牧、築館教会にて受洗者1名。
1950年(昭和25年)11月
故小野師、石巻教会に転任後、故貝沼保司祭、築館教会主任として就任。
大崎地域の司牧の任にあたる。
1954年(昭和29年)4月
斎藤石雄師、築館教会主任に就任。大崎地域の宣敦司牧に尽力。
1954年(昭和29年)5月
初代邦人司教浦川司教の辞任に伴い、小林有方師司教祝聖、仙台数区長に就任。
1954年(昭和29年)10月
宮城県開拓営農作物試験所長、玉造郡鳴子町上原開拓地指導員である佐藤良治氏、
仙台司教館を訪問。上原宣教の意を表明。
1954年(昭和29年)11月
上原開拓地の要請に応え、斎藤石雄師、上原開拓地を訪れ、宣教ベースを設定。
以後定期的に毎週教理研修が開かれる。
1955年(昭和30年)1月
小林有方司教、上原開拓地訪問、宣教状態を視察。
尚、司教要請に従って岡田友治氏,伝道士として上原開拓地に赴任、家族と共に移住する。
1955年(昭和30年)4
斎藤石雄師、築館教会より米川教会主任として転任。
本間師後任として築館教会主任に就任、大崎地域の宣敦司牧の任に尽力する。
1955年(昭和30年)4月
児山六七男師、仙台角五郎町教会より、古川地区の宣教司牧にも力を注ぎ、受洗者古川第1号が誕生する。
1955年(昭和30年)6
上原教会献堂式、小林司教司式のもとに行われる。
上原開拓民42名の集団洗礼が行われる。
1955年(昭和30年)6月
同年カナダより帰国したフランシスコ会修道司祭稲用経夫師、大崎地域の宣敦司牧の任に初代主任司祭として就任。
仙台よりその任務遂行にあたる。
1955年(昭和30年)7月
古川高校生のため上智大学ボッシユ師の講演会が開かれる。
演題「日本青年と現代社会」
1955年(昭和30年)7月
古川小教区設立のため700坪の土地を購入し、大崎地域宣敦司牧の拠点に備える。
(古川市東浦105- 1 、現在地)
1955年(昭和30年)8
上原教会にて聖マリア祭が行われる。 NHK録音全国放送する。
1956年(昭和31年)4月
稲用師、津谷教会主任に就任。
川井師、元寺小路教会より大崎地域の宣教師に任命される。
築館教会より大崎地域の宣敦司牧の任にあたる。
1957年(昭和32年)6月
大崎地域に散在する信徒総数をはじめて調査する。
古川地区48名、上原地区53名、鳴子地区13名、合計114名
(1957年教会現勢調査参照)
1957年(昭和32年)10月
カトリック古川教会仮聖堂落成(古川市上法橋河原1番地)
川井師、古川常住の最初の司祭となる。
1957年(昭和32年)12月
大崎地域初の堅信式行われる。受堅者18名
1958年(昭和33年)6月
カトリック救済奉仕団(岡田氏、上原開拓民祖合員と共に)
上原開拓民への救済奉仕活動が救援物資無料放出によって活発に行われる。
上原地区の婦人会が奉仕の任にあたる。
1958年(昭和33年)8月
古川、上原教会の合同夏季合宿を石巻教会幼稚園にて行う。
小・中学生50名参加する。
各教会の婦人会、青姉会の奉仕により盛況に終了する。
1960年(昭和35年)5月
チリ地震津波により災害を被った志津川町を訪れ、救援物資を配布する。
1960年(昭和35年)12月
第2回堅信式、古川仮聖堂にて行われる。
受堅者24名。
1961年(昭和36年)4月
上原聖マリア保育園開設(園長、岡田友治氏)
以後7年間にわたり上原開拓民の児童福祉をとおして福音化に専念する。
その後、児童減少のため上原僻地保育所として鳴子町が運営した。
1962年(昭和37年)
第2バチカン公会議開催、小林司教ローマに赴く。
あたらしい教会づくりはじまる。
1962年(昭和37年)6月
信徒総数125名(古川65名、上原52名、鳴子8名)
1963年(昭和38年)5月
古川教会聖堂建設着手(築館町、山本工務所)
1963年(昭和38年)9月
古川教会聖堂落成
9月14日 献堂式、小林司教のもと多数の司祭信徒参加のうちに行われる。
はじめて古川小教区が大崎地域の宣敦司牧の拠点として誕生する。
1964年(昭和39年)6月
石巻、涌谷、古川、鳴子上原地区の信徒、古川教会に集り合同堅信を開催。
受堅者47名、参加信徒数110名。
1965年(昭和40年
第2バチカン公会議閉会。
1965年(昭和40年)8月
上原教会創立10周年記念行われる。小林司教司式。
1965年(昭和40年)10月
仙北地方の各教会、合同巡礼をキリシタン殉教の里米川教会三経塚にて開催。
1966年(昭和41年)1月
カトリック古川教会共同墓地購入(古川市清滝)
1966年(昭和41年)5月
米川教会にて仙北合同堅信、古川小教区より受堅者7名。
1966年(昭和41年)5月
古川カトリック教会報No1が発行される。
1966年(昭和41年)6月
会報の名前決定される「初穂」と命名。
1966年(昭和41年)8月
上原教会にて古川小教区の第1回の使徒職大会が開かれる。
「信仰と家庭生活」のテーマを中心に活発な意見が交換された。
1966年(昭和41年)10月
初の宮城・岩手合同使徒職大会一ノ関教会にて開催。
古川10名、上原10名、計20名参加する。
1967年(昭和42年)5月
古川カトリック共同墓地の整地着手。
1967年(昭和42年)5月
仙台教区使徒職協議会古川支部発足、
第2バチカン公会議の精神に基づき新しい教会づくりはじまる。
信徒会は発展的解消
1967年(昭和42年)6月
信徒数152名(教会現勢調査参照)
1967年(昭和42年)8月
川井師、西仙台教会主任として転任、
吉田師第3代主任司祭として就任。
1968年(昭和42年)4月
吉田師、東仙台教会主任として転任、
渋谷師、米川教会より第4代主任司祭として就任。
1968年(昭和42年)4月
川渡カトリック保育園設立、
経営主体カトリック児童福祉会、初代園長岡田友治氏。
1968年(昭和42年)5月
古川カトリック共同墓地にて野外ミサ、その後墓地緑化を図り記念植樹を行う。
1968年(昭和42年)8月
仙台教区使徒職協議会解消に伴い古川、上原支部も自動的に発展的解消し、信徒会結成、
古川・上原の一本化を図る。
1970年(昭和45年)10月
古川カトリック教会においても、カトリック児童福祉会の経営主体とする東町カトリック保育園を設立。
地域社会のニーズにこたえる福祉活動、福音化に尽力する。初代園長・渋谷貞雄師。
1972年(昭和47年)12月
信徒総数100名(教会現勢調査参照)
1975年(昭和50年)5月
水沢、後藤寿庵祭に巡礼。古川・築館合同参加者16名。
1976年(昭和51年)3月
佐藤千敬師司教祝聖、第4代仙台数区長に就任。
1977年(昭和52年)4月
渋谷氏辞任により、川井師特別養護老人ホーム暁星園より再赴任。
1977年(昭和52年)12月
信徒総数100名(教会現勢調査参照)
1979年(昭和54年)12
堅信 受堅者11名
1981年(昭和56年)2月
ローマ教皇ヨハネパウロ二世訪日により、古川小教区より東京後楽園の教皇ミサに6名参加。
長崎の教皇ミサに1名参加。
1982年(昭和57年)12月
信徒総数105名(教会現勢調査参照)
1983年(昭和58年)6月
水沢後藤寿庵祭に巡礼、7名参加。
1983年(昭和58年)11月
堅信  受堅者8名
1985年(昭和60年)8月
「秋田涙の聖母」巡礼 参加者20名
1987年(昭和62年)12月
信徒総数119名(教会現勢調査参照)
1988年(昭和63年)9月
献堂25周年記念行事として講演会、堅信、祝賀会が行われる。
講演会の演題「こんな子供に育てたい」劇作家田中澄江氏。
1988年(昭和63年)12月
信徒総数114名(教会現勢調査参照)